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おそうじ

満員御礼 感謝感激です。
JコミFANディング

引き続きご注目いただければ幸いです。
ちなみに「買うほどじゃないや」というかたでも作品をJコミで読んでいただけるとクリック数に応じた振込みが行われますので、こちらもぜひご利用ください。(購読は無料)

海明寺の部屋は独り暮らし当時から魔窟状態でしたが、二人暮らしになっても同じです。(私も掃除がとっても苦手。。。。)
ここのところ人の手を借りて何とかきれいにしようとしています。介護ベット入れないといけないし。

でいろいろなものが出てきます。

今日発掘できたのは80年くらいのマンガを集めた個人誌の原稿。写植部分がぱらぱら落ちてるよー。。。
投稿サイズだったのでひとまずスキャンを後回しにして「開放は遠く」をPIXIVにあっぷしてみました。 よろしければ読んでみて下さいまし。

またあのまるこいキャラが活躍です 1_a.jpg

つい昔のやつは見たことなくってアップしちゃいがちだけど新しいやつもおいておいたほうがいいかなあ。。。。
18Rですが

seijiゲスト

THE SEIJI先生の単行本「裸でごめんネ」のゲスト原稿です。PC仕上げ導入した頃かなー?
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FAQ

ツイッターを覗いていると結構同じような質問が多いナーと思って一応書いておいてみます。

Q「内田美奈子先生の赤々丸の中に出てくる「めね田おたべ」のモデルさんですか?」
Aそうです。

赤々丸グラフィック(新書館 1985年)内の「赤々丸モデル大座談会」で顔写真もでています。

めねろご2
 こんなものも出てきました。使ったのかな?

Q「某有名ゲームのコミカライズはファンドに入らないんですか?」
A その名を言うと呪われます。

日本一版権が厳しいもののひとつだそうですね。どこに再度発表することも難しいようです。もっている方は大切になさってください。

ちなみにウィザードリィの版権はどうでしょうねー? ウィザードリィ4コマも何ページか書いております。
これはウイザードリィの同人誌(サークル早い亀って、、、まいなぁぼぉい先生発行でいいのかな?)に載っていたものです。
w1.jpg w2.jpg

1枚目は「海明寺裕」2枚目は「その3」になっているのはその3は当時の「18R絵を描くときのPN」だからだと思われます。

応援FANディング 目標額突破御礼!

応援FANディング 本日昼12時に開始されました。

始まる前はもうどきどきしちゃって、ぜんぜん来なかったらどうしようー。でもまあ初日だし、とかいろいろぐるぐる、、、、

なんだかあっという間にすっごい額になってきちゃって、びくつく私でした。

昨日ファンディングの記事をプリントアウトして持っていったら「PCでみたかったなー」といっていた海明寺だったので今日は何とかPCで見せてあげたいとノートPCを担いでいきました。

夜は遅めになっちゃってむっつりしていたけれど、ファンディングの話しをしたら
「リハビリ(PCを触るリハビリがあるんです)中にネットにつないでもらってみられたんだよー。すっごく買ってもらえていて。。。」ととにかくうれしそうでした。
リハビリの療法士さんにコメント部分をプリントアウトしてもらって読んだらしく
「泣いちゃって笑われたよー」っていっていました。

どうにか感謝を伝えたいと、がんばって長文のメッセージを書いていました。私のアカウントでツイートさせていただきましたがここにも貼っておきます。

「Jコミの義捐金企画がスタート。リハビリ担当のYさんと一緒にPCをみて応援メッセージを読んで泣く。プリントアウトしてもらった。すごいなー。半分くらいいけば上々と思っていたんだけど。小杉にTELして喜びを分かち合いたいがケータイがない!」(携帯は私にあんまり何度も電話をかけるもので持つことを禁止されています)

「現状」左半身不随・一人で立ち上がれない・歩けない・左手が使えない・左半分の八割が見えない・料理の皿の内側だけまったく見えないことも多い。絵を描くときも左が白くなりがち

それと「海明寺裕は「闘病中」ではなく「リハビリ中」ですのでよろしくお願いいたします。」だそうです。


空間の認識が弱いのでノートに縦横に文字を書いてしまうのがちょっと困るんですが、この文章はがんばってまっすぐ書いていました。(自分の文体っぽくないな、とも書いていました)ほかの文は以前の(ツイッターなどごらんくださいませ)文体のままでいろいろ書き散らかしています。読むほうはまだちょっと苦手なようですが。。。

今日は15歩歩けたそうです。リハビリは本当にがんばっていて感心します。
ファンドはまだ始まったばかり。もしよろしければ覗いてみてください。

学マン時代

67年生まれの私は微妙に「大学マン研全盛時代」とはずれていて、(短大時代は超伝統あるマン研に入っていたけど。。。。先輩の名前こわくって出せない!そして卒業後5.6年でつぶれてしまったわ。。。。)当時の勢いとか
わかりかねるところがあるんですが、今見ても80年くらいの海明寺の絵はず抜けているんんじゃないかなー、と思う次第。

時代から考えてこれはレタリングから本人ではないかと思います。

知恵の柱

マンガのお仕事

10年程度ほとんどマンガの仕事をしていなかった海明寺ですが、去年の半ばから商業誌の連載を復活していました。

コミックフラミンゴを発刊していた三和出版の秘性という投稿誌です。(かなりドきつい投稿雑誌です)
久々の表紙からモザイク雑誌にびびったwwww
本人は「SMセレクトあたりの中島史雄先生の位置」といっておりましたW

2回掲載されたところでした。久々に私もアシスタントに借り出されていました。
7月に第3回目を脱稿する予定である程度はネームはできていたようですが、PCの中なのでまだ確認していません。

本人は「毎日好きな仕事できて、好きな風にマンガもかけて、年末の女犬展にも寄せさせてもらったし、ほんと今が一番イイナー」って毎日言っていました。

病気のために退職扱いになった警備の仕事ですが、彼が毎日警備の仕事の詳細や買い物などに使っていたメモ帳(かなりのメモ魔です)にはいくつか手書きのコマワリがあります。

秘性ネーム

入院15日目(5月21日)

(4.5日でICUから一般病棟に戻ったものの、高血圧」、高熱が続き、病院にいっても寝ていることが多かった)

一般病棟に移って5日目。お見舞いは解禁になっているのですが、私の都合もあり、今日がはじめてほかの方をお迎えする感じに。

吉祥寺のSさんと荻窪のNさん。
Nさんは八王子に詳しいかただし一度店に来てくださったこともあるんですがSさんは八王子は初めてだったとか。ありがとうございます。

昨日「お見舞いは何を持っていったらいい?退屈だろうから本とかゲームとか」
といわれてしまったけれど、正直そういうものが楽しめる頭の状況じゃないみたい。
(私が大きな字で書いた手紙も読んでくれていないようだったし)
せんせいのおともだちだしがっかりさせちゃうかもなあ、と思ったけれど
お見舞いに来てくださることで先生も元気出るかもしれないし、きていただくことにしました。

朝から書類の申し込みなどで役所に行ったり(なんとかなった。。。)した後病院へ。
昼過ぎの時間帯がよかったのか何日かぶりに起きている先生に会えた。
まず携帯とスマホを持ってきてというのはかわっていないけれどふわふわと夢みたいなことを繰り返していた。
お話していてもわからないことが多いみたい。ショック。

そろそろお二方がくるはず、という頃なんだか手を離してくれなくなってしまって、談話室でお待たせしちゃった。(すいません)

先生はお二方の顔はわかったみたいで手を握ってお礼を言っていた。よかった。

お二方はそのあとお店にも来てくださってちょっとおはなしできて。ありがとうございます。お花屋にふさわしくない二人。。。。のようなw

入院3日目(5月8日)

面会時間を間違えて呆然とICU部屋の前で立っていたら中に入れてもらえた。(ばかすぎる)
昨日は寝ていたけれど先生は起きていて目をきょろきょろしてご飯を食べさせられていた。

おきてる。覚醒まで2.3日かかるかもって話だったけど。
声はかけてもいいそうで話しかけてみた。

右手を握り、「せんせい。あやこだよ」といったら
動きの鈍い目を輝かせてこもる声だけれどはっきり
「あやこにたのみがある」といつもの調子で話し始めた。
びっくりしてその場で泣いてしまった。こんなにはっきりしてるの?うそ。ありがとう。うれしい。
「まずひとつなんだけれど、ペットボトルのお茶がほしい。500ミリね。次にメガネ。僕のPC横の
硬い黒いメガネケースに予備のめがねが入っているからそれ。メガネがないと不自由で。」
うんうん。とうなずいた。

せんせいはいつでも携帯を首から提げていて、小銭入れと印鑑がくっついている。鍵もついている。
ICUでは無論はずされて私が持っているんだけれど。
せんせいは手を動かして携帯を探していて
「携帯も探してきて。黒い紐がついていて。知ってるよね。ないと不便で」
「隊長から(警備の)次のシフトのメールが入っているはずだから確認しないと」
ともいっていてやっぱりまだ認識能力は低いみたい。
会社にも隊長にもしばらく休むと伝えたから、というときょとんとしていた。

「ここはどこだかわかる?」ときいたら
「病院と聞いたけど」とはっきり答える。
「先生倒れちゃったの。早く元気になろうね」っていったら
「たおれた、かー」といっていた。
せんせいのツイートは私が家に帰る5時間ほど前で止まっている。
内容は「高尾にはイージーパンツがない」

「ね、イージーパンツは買えたの?」と聞いてみた(結構難易度を上げたつもり)
「んー高尾になかったんだよね。だからほかにありそうなところ探したの。ドンキいって、京王ストアの2階にいって。ちょっと頭が痛いから休もうと思って家に帰ったらなんだか体が動かなくなったんだ」(ほぼ原文のまま)
少なくとも倒れる寸前の時系列まではっきりしている。倒れたすぐ前やあとはかなり記憶があいまいだと聞いたけど。
「でもどこで怪我したのかはわかんないんだよね」といっている。手術跡を怪我だと思っているみたい。でもめがねがないんだったら私もそんなものかも。

ご飯を食べさせてくれている方ともかなりおしゃべりをしている。
お酒がすきだの、タバコは火事が怖くてやめただの。いつもの調子で少しろれつ回ってないけれど。

ただ左の耳たぶをつねっても反応はなかった。やっぱり方麻痺なんだな。

こんなに話せて、と思ったらぼろぼろないてしまってせんせいに
「なに鼻水出るくらいないてんの」って笑われてしまったよ。

午前の面会はこれでおしまい

Jコミ様の「応援ファンド」が始まりました

かねてから絶版単行本の掲載をしていただいている㈱Jコミ様のご好意で
「応援ファンド」を行っていただける運びとなりました。

これを機会に一人でも多くの方が海明寺のマンガに興味を持っていただければと思います。
なにとぞよろしくお願いいたします。

今後はタグをつけて応援ファンドのマンガに関する裏話などもお話できたらと思います。

6月27日現在の海明寺裕

倒れたきじをアップして現状を書かないと、なんだかもやもやしますので。。。

手術は成功して現在左半身に麻痺が残るものの会話はでき意思の疎通も良くはかれます。
移動は車椅子。
リハビリ病院でリハビリに励んでいます。

病院ご飯は大盛りにしてもらっているみたいでびっくりします

家にある雑誌などかたずけていると

昭和50年代のSM雑誌が転がっていたり

81toukou.jpg

投稿イラストが掲載されていたようです。
(小説 SMセレクト 昭和56年8月1日号)

入院2日目 緊急手術

11時からの院長の見立て前にほぼ朝一で病院に呼ばれる。だったら泊まっていてもよかった。

先生が倒れていたマンションに一人でいたって何もできなかったんだから。

あわくって連絡してしまったために母も来てくれる事になった。越谷からだから到着は11時くらいだ。

挨拶もそこそこに始めて会う院長先生のお話を聞く。

前夜見せてもらった頭の中の出血MRI写真をみながらのお話。
「出血は止まっています。しかし、昨日搬送時には意識がありましたが今は昏睡状態です。このまま手術をなさらなければお亡くなりになられます」

たぶんどーっと泣いてしまったようで、落ち着くまで看護婦さんが付き添ってくれていた。

「手術なさいますね?」と言う答えにやっとうなずき、部位としてはわるくないから手術はむつかしくない、成功するだろう。ただ麻痺は残ると思う。と昨日された説明を改めてされて、待合室で待つことになった。

いって帰っても含んで大体4時間程度の手術とのこと。
手術前にはあわせてくれると言うので待っていたのに、目の前通り過ぎてがらがらーっといってしまった。ひーどーいー。

でもせんせいは完全に眠っていて酸素をあてがわれていた。昨日はうつらうつらだけど今日は完全に寝ていて。。。いつもと何も変わらないようだった。

手術室にはいってしばらくして母が来た。
いろいろあわくって、いろいろ話してしまう。いつも黙っていたこと。今後のせんせいのこと。
麻痺が残ったらリハビリで辛抱強く対応しなければならないこと。

そして私が今楽しんでやっている空間は介護しながら続けられるほど甘いものではないこと。
親の前で泣いたことなかったけれど我を忘れて泣いてしまって。申し訳なかった。
でもこの日はしょうがなかったのかもしれない。

説明だけで入院になるかもしれないと言うことで午前だけしめる予定だった店は一日休業となった。告知を店にすることができなかったので、母が看板を立てて来いという。
お言葉に甘えてちょっと店に行く。

店に行くとやはり立て込んでしまってなかなか病院に戻れない。。。。
病院最寄り駅に着いたときに手術から戻ってきたとメールが入った。
院長先生の説明は母が聞いてくれた。ありがたい。

きれいに血はとることができ、成功ですとのこと。

手術跡は針で止められていて化膿具合を見るために透明テープで止めている。痛々しいけれどこれでよくなるんだ。

全身麻酔のあとなので行った時と同様ねているけれど。きっとこれからよくなるんだ。そう信じたい。

相変わらずICUは付き添いができないので。母と二人でお話をして。解散した。

緊急搬送 入院初日

5月6日の月曜日。
週末に控えた母の日の膨大な作業を泊りがけて作業しようかなと思っていた。

途中で本日お通夜の情報をいただいたしたしいかたのご実家がわかり(最寄り駅が一緒)じゃあ、
お線香あげにいこうかな?と思った。お世話になっているしそれくらいは。。。家人が倒れるのは何しろつらい。ある程度覚悟はあったと言う話だけれど・・・・・

この日お休みのせんせいはいろいろ買い物したりいろいろ遊びに言ったりしていた様子。朝はよく寝たと書いていた。(ツイッターで逐一報告をしている)
明日からまたハードなんだろうしゆっくりしてほしいなと思っていた。
私のほうも詰めに入るし、まあ、今日はお線香上げるのを言い訳に早めに帰って明日に備えるぜ。

8時50何分かの電車に乗ってめじろ台に9時前につく。

せんせいは大体7時半くらいになると「今日の様子はどんな?何時に帰る?高尾で待ち合わせる?」と連絡が来るのが常だったけれどこの日電話はなかった。もちろん寝ているときもあってその場合は電話もないので特に気にしなかった。

家に着き、数珠を探してせんせいに声をかけようとしたらなーんだか変な格好で寝ている。
ロフトに上るはしごに手をかけていてなんだかつる下がってるみたい。
「どうしたの?」
声をかけると
「おきられないの。起こして。」
という。
休みだしてっきり飲みすぎたのかと思った。
「なに?呑んでるのー?そんなにべろべろに」
「呑んでないよ」
「呑んでなくてなんだって。。。わ。」
かなりの失禁。(小のみ)ズボンも脱ぎかけでひどい様子。
「ちょっとちょっと、そんなに腰立たないくらい呑んで・・・」
「呑んでないよ。起きれなくなっちゃったの」
起こしてくれと言うので手を引っ張る。せんせいはやせていて私は力があるので通常ぐっとひき起こすことができる。
が、この日は正体が定まらない。
「何で。。。腰?」
「よくわかんない。昨日のよいが残ってるのかな?明日仕事行くときも起こしてもらわないと。。。」
などと話す間に私は先生に完全に寄りかかられてまったく身動きできなくなってしまった。
やばい。
せんせいの携帯が近くにあり借りることにした。

110番救急車をよぶ。

時間はどれくらいだったろうか。先生に「もうちょっとで来るから。もうちょっとで来るから」と話しかけながら救急車を待った。
救急搬送の方は3人。
意識を確認し目にライトを当てているけれど私の位置からはなにをしているかよくわからない。

一人が私に声をかける。
「奥さんですね?わかっているだろうけど、これ脳みそだから」
え。
のうみそ。
ぎっくり腰とかじゃないの?

ソレからのことは頭がまっしろでいまいちよくわかんない。

先生が救急車で運ばれる最中何度か吐いたこと(家で一人ではいていたら・・・)おしゃべりをしているけれどどんどん眠気が強くなって眠りそうになるのを必死に起こしたこと。指先がどんどん冷たくなっていくこと。

手を握って涙を流すことしかできなかった。

まずMRIに入ると言うことでとってもらって「出血」と聞こえた。

しばらくして
右脳のだいぶ大きな部分に出血がある。薬で出血は止められたけれどこの量だと開頭手術になります、とのこと。ただ深夜で当直医しかいないので院長の指示を仰ぐとのこと。
位置は悪くないので手術は可能で命に別状はないだろうこと。そして左半分にはかなり麻痺が残るだろうと言うこと。

さっきまで考えても見なかったことばかり矢継ぎ早で言われて、呆然としてしまう。

ICUは付き添いができないと言うことで11時過ぎに家に帰った。
というかここどこ。山の中だし>_<
何とかタクシーを捕まえて北野駅へ。ぎりぎり終電に間に合い家に帰って呆然としながら涙を流した。

院長説明は明日の11時に予約が取れたが病状によってはもっと前に説明になるとのこと。
眠れずにボーっとしていたら6時ごろ8時半の予約に変わった。

本当は一刻も早く病院に行きたい。

6日は暖かく気持ちのよい日で、公園でビールを飲むのによさそうだった。二人でちょっと歩きながら呑む予定だった。いつだってそうだったのに。昨日だってそうだったのに。
何でこんなことになっちゃったの?

日ごろと前夜

ここのところ先生は週に5日程度は警備の仕事をはりきって行っていた。
仕事になれもあったのかかなり遅くまで飲んでいることも多くおおむね眠そうだった。

それでも二人仕事を終え、呑みに行くことこそが私たちのコミュニケーションでなかなかやめることができなかった。

4.5年前に通風発作を起こし、γGTPはひどいときで600台。痩身で食事制限はしても意味がないので「とにかくお酒を控えること」といわれ続けていた。2.3年前の通院時に「血圧が高い」といわれだした。
といっても薬を飲むほどではないし。。。(140くらい)とのことでこれまた「お酒控えようね」という判断だった。

本来休みの月曜が新橋のほうに出向になるかも?と土曜に言い出した。
月曜に働くと9勤だったはずだ(5か6きんめ?にあたる)
今までも9勤は確かあったので「そんな感じ?」と聞いたら
今メインの出向で行っている中野は走り回る仕事なのでかなりきつい。でも断ったらもう新橋の仕事入れてもらえなくなるかもしれないし、と断らないつもりだったようだった。

しばらく前に友人の夫が敗血症という最近聞かない名前の病気で倒れた。ひどく疲れていたようで。
「せんせいも気をつけてね?」などといっていた。でも正直私自身が少々おかしいくらい働いていたので
(基本的に自分の店が休みの日はすべてバイトを入れており、4月中旬から週に2.3日程度の夜勤の仕事を復活させたばかりだった)まあそれくらいがんばってもいいんじゃないかな?とぼんやり考えた。

日曜の夜せんせいが「月曜日休みになった」とツイートしてきた。

かなりの開放感だったらしく「飲もう飲みに行こう」と待ち合わせけっこう飲んだ後「2次会はカラオケ禁止」と約束していたにもかかわらずちょっとだけカラオケ。
翌日はかなりシビアな仕入れを控えていたので私はカラオケではお茶にしておいたけれど
先生はいっぱいだけ飲んでいた。確かピッチャー二人で3杯くらい開けたあとだった。

2時ごろ家に帰ってきてもっと飲もうと言うのを振り切って確か私は寝た。
せんせいのツイートにも「小杉が爆睡」とあった

翌朝は早起きして市場に出かけた。先生はまだ寝ていた。休みだしゆっくり寝るといいよ、とおもった。

そうそう

単行本の多くは絶版ですが、Jコミックさまで読んでいただくことができます。
よろしければみてみてください。

海明寺作品(一般)

アルバム作ってみました

家を発掘していると昔のいろいろなものが出てきて面白いのでおすそ分け。

10.jpg

79年(!)のマンガをアップしてみました。
まるっちいキャラのハードな展開は今見ても面白いと思います。

the Lamp Post

海明寺の最近

2000年くらいからかなりお仕事が減ってしまったので、このところ4年くらいは警備員の仕事をしていました。

家で引きこもっていた生活が長かったので、最初はつらそうでしたがすごくがんばっていろいろな街角にたっていました。

道案内が好きで、子供に声をかけられたり犬に挨拶したり毎日楽しそうでした♪

マンガのタイプとしては

ちょっと風変わりなSF作品と
Baukokusei_cover.jpg

ちょっと風変わりなSM作品を
MeAl.jpg



描いています

海明寺裕って?

ウィキペディア

80年代にデビューした漫画家です。元アシスタントの私とは11年前に結婚いたしました。

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プロフィール

小杉あや

Author:小杉あや
80年代半ばに(エロ)マンガ業界の片隅に入り、タニシのように生息。

思い出したようにまんがのことを語ったり、お花をいけたり(正業は花屋)しています。

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